私は仕事柄、100人ぐらいのCEOにインタビューしてきました。私の見たところ、ごく少数の例外を除けば、会社の規模が大きいほどCEOの人格がおかしくなります。
冷静に考えて、民間資本だけで作られたロケットが一発目から離床するって凄いことだよ。そして事故や怪我もなく、安全に飛べたっていうだけで凄いことだし、こういうことを繰り返していけば必ずゴールに辿り着けることは誰にでもわかっているわけで。
一回目の失敗は当然想定内であって、挑戦無くして勝利なし。また頑張ってよ、と、どうして背中を押してあげることができないんだろうねえ。
オフィスのエレベータ横にあるステンレスのゴミ箱が、光学迷彩化している…。 http://instagram.com/p/qlm_daBHSe/
いや、結局一番の問題は、そこで人が死んだら誰が責任を取るんだという流れになってしまうことですね。日本は責任の追求の中から、事故原因の究明に至る手順になっていますから、どうしても大きな飛躍を前にすると萎縮してしまう。一方、アメリカだと、何か事故が起きた場合、失敗の原因が何かを真っ先に考えて、それを取り除けば次は成功するだろうというドライな考え方をします。だから、何か事故があった場合、責任は問わないから全部正直に話させて、問題点を潰して前に進みますが、日本の場合は、責任を取らされるのが怖いから、みんな口を閉じてしまう。何か事故が起こる可能性があるなら、やらない方がいいという発想になるので、なかなか冒険的なことができない。でも、何かが起こることを恐れていたら、先には進めないんです。
阿久悠の言葉に、こういうのがある。読中、何度もリフレインしていた。
夢は砕けて夢と知り
愛は破れて愛と知り
時は流れて時と知り
友は別れて友と知り
だが、遅すぎた。何も始まっていなかった人生であることを、人生の最後になって知るということは、なんと残酷なことか。